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日記・コラム・つぶやき

2011年3月24日 (木)

東京での地震体験

今回の大地震では丁度東京池袋のマンションの9Fに滞在中でした。
その翌日に書いた地震体験記です。
ヒョーロンカではないので、どんな事件も個的な受け止めを大切と考え記しました。
後々、この事件の影響を含めて考えることになるでしょう。
考える前その時には、何ができ、何ができなかったかの確認にもなります。。
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本来ならば今ごろはニュージーランドへのツアーを楽しんでいたところでした。
旅行中に地震に遭わなくてよかったと池袋に来ていました。
油断がありました。地震の方がやってきました。
すごかったです。
余震の中で余韻を報告します。

このときPC作業をしていたのですが、家から出る方が危険と思われたので、ゆれている間は液晶テレビが倒れないように押さえていました。
本棚から本がほとんど落下。
食器棚から食器類が落ちてガラスの破片が散らかりました。
背の高い家具は転倒防止措置を取っていましたので転倒したものはありません。その分、中のものが扉を押し開けたり、落下したりしました。
周りでは棚から物が落ち、壊れ、壁に掛けた絵の額が次々落ちます。
揺れが止まるまでは動かない方が安全と思ってじっとしていましたが、揺れは繰り返します。
一段落して家の中を確認すると、風呂場でシャワーから水が出ています。
シャンプー容器が落下して水栓を開けてしまっただけでした。
ガスは止まりましたが、停電はしませんでした。水も出ます。
家の中はゴミ屋敷と化し、ガラス破片も散乱しましたが、漏水、ガス漏れ、発火、発煙のないことを確認しました。

この池袋のマンションの管理組合理事を務めています。
エレベーターの停止機能が正しく機能して止まりましたから、9Fから階段を下りて管理員室へ。この時点で、被害の報告はありませんでした。エレベーター会社に復旧依頼をされていましたが、いつになるかはわからないとの返答でした。(結果的に2台のうち一台は午後8時過ぎには復旧しました。)
管理員さんは落下物を心配されていましたので、管理員さんには管理員室で待機して連絡の授受に支障の生じないよう依頼して私がマンションの内外の被害を確認しました。12F建てのマンションです。外周りは何の支障もありません。内廊下側も12階まで階段で上がり降りしましたが結果的に剥離や落下物、その恐れは見つけられませんでした。漏水、発煙もありません。東西の二つの棟の接続部分がキャンテになっていますがこの部分で少し塗装がはがれています。これは建物を壊さないための想定内の状態です。消火器のフックが一つ外れていただけでした。改めて施工と管理のよさを再確認しました。
自動火災報知設備の盤も正常に作動し、異常の発報はおきていません。
この間、室内からの非常電話があったのは一件。仏壇が倒れたので直して欲しいとの申し出だけだったそうです。直ちには危険な状態ではないことを確認したと言います。

マンションの外周を確認しているとき、路上には周囲のマンションやビルや出てきた人たちであふれていました。昼間この町にこんなにたくさんの人が居るのだとびっくりしました。更に、まだ余震が続いているのに路上に出てボーゼンとしているのはとても危険なように思えました。池袋のマンションやビルは建蔽率一杯に建っています。落下物があれば建物敷地内ではなく歩道上に落ちます。部屋に居るのがもっとも安全だと私は思っています。

エレベーターが使えないこと、自室内のガラス破片の散乱への注意掲示依頼をして自室に戻りました。

とても片付ける気力が出ません。
片付けても、余震があるうちは、シジフォスの徒労になりそうです。
夕方になって息子が帰宅するので、明るいうちにガラスの破片だけは片付けました。
ガラスのコップや陶器の器がかなり壊れましたが、妻が集めていた値打ち物は大丈夫だったようです。
ガスは使えませんでしたが、電気釜でご飯が炊けましたし、スロークッカーでポトフを作っておいたので夕食には支障がありませんでした。

家族の安全確認
同じマンションの妹の家族は全員無事で、家財の被害もほとんどありませんでした(4Fでした)。
目白に店を出した息子に怪我はなく、店では商品が倒れたりはしたものの、内装、什器など被害はありませんでした。
つくばの娘の料理屋さんでは人的被害はなかったものの、酒ビンが多数落下して壊れ、照明器具が落ち、内壁にひびが入ったとのことで、当分休業を余儀なくされるようです。
妻は浜松に戻っていたので、さぞかし心配しているだろうと思ったのですがさにあらず。テレビを全く見ていないので、ようやくつながったこちらから電話報告に逆に驚いていました。

ケータイがつながりません。
固定電話も不安定でした。
一日経った現在かなり復旧しています。
ガスも復旧しました。
TVとネットは途切れることなく使えていて、情報的な孤立をしなかったのは幸いでした。
気がついたら、アップライトのピアノが袴から外れて10cmほど移動していました。
倒れないでよかった。そばに居たのですが移動に気づきませんでした。

TV報道を、阪神大震災の際に応援職員として出向いた時のことと重ね合わせて見ています。
人が突然不条理な悲劇に見舞われたとき、必要な支援はモノなのかココロなのか。
私は被災家屋の解体手続きのお手伝いに従事してモノ的な支援を担いました。その一方で、全国の自治体から送り込まれてきた保健婦さんの役割に教えられました。
TVで報じられる情報、政府や自治体が発する情報はモノ的なことがほとんどです。
その中でオバマ大統領が、日本の友人とココロを共にしている、とのコメントを出していました。
助けることはもちろん大切なことだけど、それだけでは上から目線になってしまいます。悲しみを共にしている、辛さを共にしている、というココロをシェアーしているという気持ちが救助に先立って重要な気がします。

余震への対応が必要かもしれないので、予定を変えてもう少し池袋に滞在します。
-------------

2011年2月28日 (月)

二重基準

実は3/4からニュージーランドへの11日間の海外研修?に出かける予定でした。
その10日前にあの惨事です。
阪神の地震災害の際には応援職員として現地に出向きましたが、その私の目にも新聞で伝えられるクライストチャーチ惨状はただごとではなく感じられました。
これは中止になっても仕方ない、中止にするべきだ、と観念しました。
でも、10日前では自主的なキャンセルはキャンセル料が発生してしまいます。
翌23日に、参加予定者として中止の決定をして欲しい旨申し入れました。
旅行社はH交通社です。
何も返答がなかったので、翌24日に自主的にキャンセルする旨のメールを入れました。
-------------
2名での参加を申し込んでおりますがキャンセルをします。
2/24現在貴社のHPでは2/28出発までのツアーの中止が告知されています。この対象にはなっていません。昨日までの報道を見て、ツアーが楽しめる状況ではないと判断し、一参加予定者として中止の判断をされるよう希望する旨の連絡を入れました。そのような対応がなされていないことに幻滅をしています。個人の判断としてキャンセルをします。
貴社としては、ツアーを敢行できるか否か検討されているのかと推察しますが、行程表どおりに回りさえすればツアーになるのではなく、それに応じた感動が提供されてはじめてツアーの意味がある筈です。運送業ではなくサービス業なのですから。
かつてTブランドのツアーに参加して苦い経験をしたことがありH交通社を敬遠しておりましたが、別会社のツアーに参加した折にCブランドの評判を聞き今回再挑戦でした。
しかし、今回の対応を見る限り、貴社のスタンスは変わっていないと感じた次第です。現地社会に負担をかけ、参加者も楽しめなくても、それでも「観光」なのでしょうか。
回答はメールでお願いします。
-------------
その日のうちに返答がありました。
-------------
・・・・
このたびは貴重なご意見を賜り有難うございます。
ニュージーランドのご旅行につきまして、ご心配をおかけいたしまして、
誠に申し訳ございませんでした。
当ツアー催行の件でございますが、3月末までのご出発についても
本日2月24日(木)に催行の中止を決定させていただきました。
現地へ正確な情報収集を重ねており、正式決定のご連絡に
お時間を頂いてしまいました。ご参加の皆様方にはご心配、ご迷惑を
おかけ致しまして、申し訳ございませんでした。
・・・・
-------------
でも、今日3/28に至ってもH交通社のHP上では2/28出発ツアーまでの中止しか伝えていません。
ちなみに、kntでは3/25出発まで、JTBは3/31出発までを中止と公表しています。
H交通社は相手によって態度を変える、その余地を残して対応しているのでしょう。
何もなければよいけれど、何かあった時の対応を垣間見てしまった気がします。
事件や事故の対応が、会社のスタンスのリトマス紙になってしまいます。
実は、秋の海外研修にはH航空のツアーでプラハへの検討を進めていたのですが、H航空はH交通社の系列になっていて、この一件で迷うことなく除外となりました。

うがった見方かもしれないけれど、「現地への正確な情報収集を重ね」というのは手配したホテルや現地ガイドなどなどの補償を含めた損失を計っていたのかなと思います。
参加者の感動はおろか、現地社会の負担には思い及ばなかったのでしょう。

海外の観光資源でビジネスをさせてもらっている旅行社なのですから、このような時こそ、契約先に損害を与えず救助や復旧活動を支える態度をとって欲しいです。
参加予定者は退避せざるを得ないけれど、日本の旅行社にはこのような時こそ逃げずにその存在を示して欲しい。むりかなぁ。

2010年6月 9日 (水)

また、お友達が総理大臣になった

菅直人君のこと
鳩山由紀夫君が総理大臣に選ばれたとき「お友達情報」を書いた。
http://umi-kaze.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-e91f.html
その中で菅のことも少し書いた。
今回菅が総理になったので思い出を少し追加する。
東工大の応用物理学科で3年間机を並べていた。
囲碁が得意だったから、物事を論理的、戦略的に詰めていくのが好きだったのだろう。
面倒見もよかった。3年の終わりの春休みには就職先選定(今と違って学生が企業を選定する時代だった)の参考のためと称して恒例の工場見学旅行をするのだが彼が中心になって準備していた。三菱電機>旭硝子>広畑製鉄所>マツダ自動車>宇部興産と規模の大きな工場をそれぞれ一日がかりで見学できた。
4年になって彼は隣の実験室で卒業研究をしていた。粉体の物理現象をテーマにしていた。直接指導していたのは後の東京都公害研究所大気部長岩崎好陽さんだった。
学園紛争の時代に突入する。彼の理念は地に足をつけていた。現実の生活感覚に乏しい学生には現実は乗り越え否定されるべき対象に見えていたし、過激な主張をする大きな声に引きづられがちだった。そんな中で足元の現実と夢とを彼は乖離させずにいた。彼は政治学の永井陽之助教授に影響を受けていたと思う。
当時東工大には、永井道雄、阿部統、川喜田二郎などなど素敵な教養人が多く居た。
彼を含めあえて1年留年して卒業した友人も少なくなかった。大学紛争が多くの学生の生き方を変えた。
私たちは科学者・技術者になるために東工大を選んだ筈だった。
入学時のオリエンテーションの時だったと思うが「君たちは年間12000円の授業料しか払っていないが、国は君たちの養成に500万円を投資している」という説明があった。だから国家と国民の要請に応えてしっかり勉強しろと言いたかったのだろう。この500万円という誰もが持ち合わせていない金額に、その期待の大きさを感じたりした。
当初の志は挫折してしまっても、総理大臣を生んだのなら瓢箪から駒で容認されるかも知れない。喫茶店オーナーは許容範囲外だろう。いずれにしても、東工大応用物理学科はもう無い。
おまけ
今度の内閣に蓮舫さんが入っている。
前職の仕事がテレ朝のプレステージという深夜番組で紹介されたことがあった。この時生放送で出演したのだけれど、その時のコメンテーターがこの蓮舫さん、高市早苗さん、飯干景子さんの3人だった。私は誰も知らなかったが有名になる素地のある方々だったことを後に知ることとなった。
今度の閣僚の平均年齢が一気に下がったそうだ。
昭和21年生まれが歴史の中で記憶に残る役割を果たせたのをうれしく思う。

2010年3月25日 (木)

トルコ見聞録 第九章 時の価値

トルコは絨毯で有名だ。
カッパドキアの絨毯工場で説明を受けた。
トルコ絨毯の特徴は「二重結び」と「草木染」。
二重結びは手間がかかるが、丈夫で100年以上の耐久性を支える。
草木染は年月が経つと色がますます鮮やかになる。化学染料とは逆。出藍の誉れと言われる藍染めと同じ。
トルコの娘は何ヶ月或いは何年かをかけて絨毯を作り花嫁道具として婚家に持参するという。その絨毯はもちろん実用に供されるのだが、婚家に大事があった時、絨毯は可処分性のある財産としても役割を果たすと言う。
その後、一軒の洞窟住宅を見学する機会があった。
家の中は突然の訪問にもかかわらずきれいに片付けられていた。
客間には12畳ほどの絨毯が敷き詰められていた。ウールで織られたもので鮮やかな文様が素敵だった。
その家のおばあさんは65歳、この家で生まれ、結婚後もここに住んで、今は孫もいる。
さて、この絨毯、このおばあさんが30歳の時15歳の娘(15歳の時に生んだ娘!)と一緒に織ったものだという。既に35年経過しているモノだ。
現地ガイドの説明によれば、使えば使うほど絨毯は薄くなり馴染んでくる、草木染の色は一層鮮やかになる。使い込んで年数を経た絨毯ほど高く売れるという。
使われて価値が増す、それも市場価値が増す。これって、驚きではないか。
私たちの価値観では、モノは出来上がった時に最高の価値を持っており、時間の経過と共に価値を減らす、いわゆる減価償却が当たり前。ましてや使用されたモノは中古品として大きく市場価値を落とす。
もちろん長く使われて価値を増すと言われるものもある。古鍋、古女房は別にして、使い込んだ万年筆、かばん、テーブル、家屋・・・。想い出を刻んで価値を増すが、それは対象物に特別の関係を持った者にとっての価値であり、一般市場での価値が増す訳ではない。
トルコ絨毯は使えば使うほど市場価値が増すという不思議。
使うほど市場価値が増すというモノ、会計的にはどう説明をするのだろう。
Reduce、Reuse、Recycleという概念は、モノを作って使用すると、モノの価値は低下し、環境負荷は増す、を暗黙の前提にしていると気づかされる。
もしかしたら、トルコ絨毯はこのように近代的な価値観を超える価値観を気づかせるところに価値があるのではないか。

私たちは?もちろん買いましたよ。シルクで織ったヘレケと言われる最高級品です。
とても踏みつけられません。額に入れて家宝にします。

2010年3月23日 (火)

トルコ見聞録 トルコ旅行行程

 

参加したトルコツアーはクラブツーリズムのコース#16410 2010/3/7出発でした。

コースのマップ
Tourmap_2

 

行程表(イスタンブールで少し組み替えがあった)

 
地名 交通 予定
1 成田


イスタンブール
午後


航空機


バス
■空路、トルコ航空直行便にて
 イスタンブールへ

■着後、ホテルへ       
★デラックスクラスのホテルに宿泊
食事(朝 : ×昼 : 夕 : ) 宿泊 : (イスタンブール泊)
2 イスタンブール
アンカラ






ハットゥシャシュ




カッパドキア


午前






午後
航空機

バス
■空路、トルコの首都アンカラへ

■着後、アンカラ市内観光
 【アタチュルク廟(下車)】
 ★ハットゥシャシュ遺跡からの発掘物が見られる
 アナトリア博物館(入場)も見学!

◆その後、ハットゥシャシュへ

◆着後、世界遺産①ハットゥシャシュ(下車)観光
 世界最古の鉄器を使用したヒッタイトの都であった
 遺跡をご覧ください

■観光後、カッパドキアへ

★世界遺産カッパドキアのデラックスホテルに
 らくらく2連泊!
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (カッパドキア泊)
3 カッパドキア 終日












バス ◆ 世界遺産②カッパドキア終日たっぷり観光
 【*ギョレメ野外博物館(入場)、
 地下都市カイマクル(入場)、ゼルベの谷(下車)、
 ウチヒサール(下車)、らくだ岩(下車)
 三人姉妹の岩(下車)など】

■洞窟住居に住む、一般家庭も訪問にもご案内!

■トルコの伝統的な芸術品であるじゅうたん工場
 (入場)へ。
 素晴らしいトルコ絨毯製作行程や製品をご覧下さい
 販売もございます

■夜はベリーダンスディナーショーを満喫下さい!
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (カッパドキア泊)
4 カッパドキア

コンヤ




パムッカレ
午前




午後

バス ■一路、コンヤへ

■着後、古都コンヤ市内観光
【メブラーナ博物館(入場)など】

■観光後、「綿の城」と呼ばれる温泉地・パムッカレへ

■温泉ホテルでゆったりお過ごし下さい。
 5つ星デラックスクラス温泉ホテルに宿泊
 (水着着用)
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (パムッカレ泊)
5 パムッカレ




エフェソス





イズミールまたはクシャダス
午前




午後
バス ■世界遺産③パムッカレ観光
 【石灰棚(下車)を散策、ヒエラポリス遺跡など】

■観光後、エフェソスへ

■エーゲ海最大の遺跡群 壮麗なエフェソス遺跡観光
 ケルスス図書館、ハドリアヌス神殿、大劇場
 トラヤヌスの泉、市公会堂など

※革製品のお店にもご案内

■観光後、イズミールまたはクシャダスへ
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (イズミールまたはクシャダス泊)
6 イズミール



トロイ

チャナッカレ
午前



午後
バス ■一路、トロイへ

※ベルガマにて昼食と、トルコ石の宝石店へ

■木馬伝説で有名な世界遺産④トロイ遺跡観光(入場)

■観光後、チャナッカレのホテルへ
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (チャナッカレ泊)
7 チャナッカレ

イスタンブール
午前

午後
バス ■イスタンブールへ

◆世界遺産⑤イスタンブール市内充実観光
 【膨大な秘宝と歴史がねむるトプカプ宮殿(入場/宝物館も入場)じっくり観光など】
 ★通常ご案内しないハレムにも特別入場!

■5つ星デラックスクラスホテルにらくらく2連泊!
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (イスタンブール泊)
8 イスタンブール 終日 バス ■世界遺産イスタンブール歴史地区終日観光
 【ビザンツ建築の最高傑作と言われる
 アヤソフィア(入場)、トルコの象徴
 ブルーモスク(入場)、
 ヒッポドローム(下車)、グランド
 バザール(入場)など】
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (イスタンブール泊)
9 イスタンブール 午前




夕刻
バス




航空機
■ゆっくり出発でイスタンブール市内散策と
 絶景クルーズ観光
■貸切船にてボスポラス海峡絶景クルーズにご案内!
 エジプシャンバザールなど。

■空路、トルコ航空直行便にて帰国の途に
食事(朝 : 昼 : 夕 : ) 宿泊 : (機中泊)
10 成田着 午後 ■通関手続き後、解散となります。
食事(朝 : 昼 : ×夕 : ×) 宿泊 :

トルコ見聞録 第八章 トルコを訪ねてください

とは言っても、もっと知って欲しい国
ネガティブな意見を書き連ねたが、それだけ関心を持って見た、とも思って欲しい。
アジアの両端。日出る国と日没する国。(ちなみにトルコの古代名「アナトリア」はギリシャ語の日出る国に由来するという。)
日本に伝わった琵琶とトルコのウードは起源を一にする。
日露戦争時代のロシアとの軋轢も共有し逸話も多い。
文明の十字路と言われるだけのことはある。世界史の関心を呼び覚ます。それだけ重い歴史を持っているにもかかわらず、現在のトルコがその文化遺産を活かしているようには思えなかった、その期待と現実のギャップが私の疑問を増大させたのだろう。

(トルコの古代遺跡の説明を受けながら、その西側バルカン半島に栄えたトラキア文明との接点についての言及はなかった。ギリシャとの交流、軋轢は歴史の主要な流れとなっているのだからその前史として何かあるだろう。)

ひとまず終わり。

トルコ見聞録 第七章 停滞する産業

産業は停滞している
農業自給率は100%。
2次産業は中国の影響を受けて苦しいという。
失業率は15%近いが、ホームレスはいない。家庭が失業者を吸収している。
日中カフェのテラスで一日中チャイという紅茶を飲んでいる男たちが目に付く。
ドライブインの売店、ホテルのレストランなど、他国では女性の労働の場になっているところを含めて女性が働いている姿をほとんど見かけない。不特定多数の人の前で働くということをしないのだろうか。中国での女性の活躍と比較して落差が大きい。イスラム圏で近代化に成功したと言われるトルコだが女性の就労機会という点ではアンバランスだ。
観光産業のウェイトが増している。昨年は2600万人が訪れた。今年は3000万人を超えると期待されている。しかし、中東が不安定になると雪崩のようにキャンセルが出てしまう不安定さがある。ロシア、ドイツからは数百万人の観光客があるが、日本からは7万人、もっと増えて欲しいと言っていた。

トルコ見聞録 第六章 その誇りはどこへ

外国語を駆使する
日本人観光客と見るとみやげ物を「千円、千円」と売りつけに寄ってくる。日本語で話しかけられ、日本の通貨が使えることは嬉しい。警戒感が緩む。
ベリーダンスを楽しめるレストランでも上手な日本語での説明があった。隣のグループに対してはフランス語で説明をしていた。観光産業に従事していれば、数ヶ国語を駆使できる人は結構いるようだ。
売店ではかなり日本語が通用する。でも、ガイドからは騙されないようにとの注意があった。
昨年私たちの息子はイスタンブールに2週間弱滞在した。私たちのツアー参加に際して「日本語で話しかけてくるトルコ人には注意した方がよい」と助言してくれた。
外国語を使うことが、外国人を騙して利益を得る機会になっている。これはとても悲しいことだ。
対照的な経験を北京でした。
足つぼマッサージをしてくれた青年と話した時のこと。彼は日本語を勉強していた。日本語を勉強して、日本人観光客と接する機会を作ることが自分の将来を切り拓くと期待を持っていた。そのために足つぼマッサージの技術も習得した。海外とのつながりを持てることが自分のステップアップにとって必要と判断した。そのように考えて外国語を学ぶ青年が多い、観光客と接することができる職場は魅力的だと言っていた。中華思想の国の若者がである。日本の若者にもかつてはあった筈のベクトルが今中国にはあると感じた。
中国もトルコもかつては世界に冠たる大帝国を成していた。中国はその慢心を超えて新たな活力を発揮している。トルコはどうか。過去の遺産にあぐらをかき、遺産で食いつないでいる、とは言えないか。観光産業に依拠してではなく、観光産業を超えた地平を切り拓く気概が欲しい。

トルコ見聞録 第五章 都市計画・道路の質

イスタンブールの町の斜面はゲジュコンドウと俗称される違法建築で覆われている。緑はほとんど見えない。
事務所ビル、ホテル、マンション群がゾーニングされずに混在している。
町が拡大し、ヨーロッパ側に勤務場所があり、アジア側に住宅が形成されている。
その結果ボスポラス海峡の二つの吊り橋に朝晩通勤の車が殺到する。現在地下トンネルを工事中である。このトラフィックは大きな損失だと思わないのだろうか。
道路の舗装は大半がコンクリートで、削られて砂利がむき出しになっていることが多かった。アスファルト舗装はとても少なかった。
歩道の敷石は管理が悪くガタガタだった。歩道は、車道をとった残りがあてがわれているようで、その幅員は一定していない。挙句の果ては途中で歩道がなくなったりする。
早朝にホテルを出て散歩してみようという気になれない街だった。

トルコ見聞録 第四章 粗悪な建築

粗悪な建築
寺院や宮殿は別として平民の住居は日干し煉瓦で作られていた。地震大国であり、その度に大きな人的被害を出してきた。私たちの旅行中にもトルコ東部で地震があり、日干し煉瓦の民家が倒壊して死者を出したという。
私が言いたいのはこの日干し煉瓦の建築物が粗悪だというのではない。
地方でも、イスタンブールでも鉄筋コンクリート造の建築物がこれに取って代わっている。
これがひどいのだ。
梁や壁がほとんどない。
中高層の建築物でも、下層から上層まで太さの変わらない柱があり、各階には床がある。鉄筋コンクリートで作られているのはこれだけ。梁がないから床はその厚さ分しか見えず、子供の積木の家のように見える。コンクリの耐力壁は見当たらない。壁は従来の壁材である日干し煉瓦を積み上げている。構造的な役割は果たしようがない。柱は辛うじて加重を受け持つが、水平方向の力を受け止める梁や壁がないのだ。横揺れの地震に対してはとても脆弱だ。
更にあろうことか既に居住している建物でも、床からも、柱の屋上部分からも鉄筋がむき出しで出ている。将来の増築のために出してあるという。これでは露出した鉄筋部分から雨水が入り鉄筋の錆びは内部まで進行するだろう。コンクリートのアルカリは鉄筋の錆を進行させない目的なのに、施工にその意味が理解されていない。
これではトルコの建物にはとても怖くて住めない。このような建築物を許している建築行政、建築士や施工業者といった職業集団のモラルはどうなっているのだろう。
そのような建築を受け入れてしまう国民の認識。それを正せない住環境教育。
国民の命を守れない建築物が拡大再生産されている。