見た者と、見ていない者
多くの方からお見舞いと心配の言葉をいただいた。その心配に比べて私の認識は軽過ぎると映っているようだ。
今の私の姿を見た方はおおむね安心して下さる。一方、メールで気遣ってくださる方は心配が払拭できない様子だ。見えないと心配が先行するのだろう。
見てしまったから、心配した人も居る。
私が意識をなくして頭から血を流している姿を見た人はそう多くはない。
私を跳ねた運転者、私の妻と妻の両親。
この人たちはびっくりし、最悪のことも考えただろう。
私自身はこの自分の姿を見ていない。見ていない側に居る。私自身が不安に呪縛されていないことは周りを安心させているのではないか。
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